2016-5-24 記事
アナウンス

1994年、ルワンダで大規模な虐殺が行われた。
フツ族によってツチ族が殺されたのだ。

ツチ族に所属する人間であるというだけの
理由で、フツ族はツチ族を殺戮した。
紛れもなく一民族の消滅を企図した
ジェノサイドであった。

 

この余りに悲しいルワンダ虐殺の後、
日本の自衛隊がPKO活動の一環
(「人道的な国際救援活動への協力業務)
として、ルワンダの隣国であるザイール共和国の
ゴマ地区に派遣された。

 

当時、ザイールには虐殺で荒廃した
ルワンダから難民が押し寄せてきていた。
難民キャンプにおける難民たちの生活状況を
改善するのが自衛隊の任務だった。

 

PKO五原則は次のように定められている。

1)紛争当事者の間で停戦合意が成立していること
2)当該平和維持隊が活動する地域の属する国を
含む紛争当事者が当該平和維持隊の活動及び
当該平和維持隊へのわが国の参加に
同意していること。
3)当該平和維持隊が特定の紛争当事者に
偏ることなく、中立的立場を厳守すること。
4)上記の基本方針のいずれかが満たされない
状況が生じた場合には、我が国から参加した
部隊は、撤収することが出来ること。
5)武器の使用は、要員の生命等の防護のために
必要な最小限のものに限られること。

 

後に改正されることになるが、この時機、
5番目の自衛隊の武器使用に関する規制は
非常に厳しく、自己自身を正当防衛で
守ることしか認められていなかった。

要するに、自分のそばに自衛隊員ではない
国連職員やNGO職員がいた際、自衛隊自身が
狙われていたら、相手を攻撃できるが、
隣の職員が狙われた際には、この人々を
守ることが出来ないという制限が課されていたのだ。

ルワンダ難民支援活動は、
自衛隊の国際活動の中では最も過酷だったと
言われています。

その自衛隊員達が帰国の際に搭乗した民間機での
お話。

詳細は動画にてご覧ください!


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