2016-3-16
感動
パラオ本島とコロール島の間に約200メートルの橋が架かっています。
これがKBブリッジです。実はこの橋は1996年に一度崩落しているのです。
KBブリッジは、「Koror-Babeldaob Bridge」 の名前のとおり
首都コロール島と空港のあるバベルドアブ島を繋ぐ橋で、
島国パラオの交通の要衝として1977年に開通しました。
■旧KBブリッジ(韓国製)
建設するにあたり日本の鹿島建設も見積りを出したのですが、
韓国の下請け会社が日本の半額で落札し、工事を行いました。
ところがこれがひどい手抜き工事だったようです。
コンクリートの固め方でさえでたらめだった。
と言いますから恐ろしい限りです。
その様子をつぶさに見ていた現地住民は当初からこの橋に不安を抱いて
いたようで、車で橋を渡るときは、もし海に落ちてもすぐ逃げられるよう
にと必ず窓を開けていたそうです。
また、竣工直後から橋の中央部がたわみはじめ、15tだった通過制限重量が
すぐに10tにまで減らされました。
このたわみはやがて、通過する時おかしな揺れを体感できるほどに大きくなり、
崩落事故の起きる頃には、徐行運転で渡るほかないという状態に陥っていたのです。
そして1996年9月28日、悪夢は現実となります。
KBブリッジは突如真っ二つに折れ海に突き刺さりました。
たまたま通行車両の少ない時間帯だったのですが、
1名死者も出てしまいました。
橋の内部には電線、水道、電話線が通されていたため、
パラオのライフラインは分断され首都機能は麻痺。
一時は国家非常事態宣言も出されました。この時、パラオと姉妹都市の
三重県からはコンテナ空輸で飲料水が運ばれています。
パラオ政府は、すぐに橋を造った韓国の業者に賠償請求しようとしたのですが、
この時すでにこの会社は解散していて、手がかりすらなかったそうです。
これは一体どういうことなのでしょう?この建設会社は1994年にソウルで
崩落した橋を施工した業者でもあったというのです。
ともかく途方に暮れるばかりのパラオ政府だったのですが、
日本ではまず仮設橋の建設を援助し、日本のODA政府開発援助により
約30億円の新たな橋を無償で架ける事になりました。
施工にあたったのは因縁の鹿島建設です。
工事中、現地の人達は「カシマ」という言葉を覚え、日本人を見掛けると
「ありがとうカジマ」と声をかける子供もいたそうです。
実に5年の年月をかけ、橋は完成しました。2002年1月11日、
開通式典が開かれ、橋の新しい正式名称が発表されました。
その名も「Japan-Palau friendship bridge」
太平洋上を走るこの橋は、3000kmの距離を越えてパラオと
日本に新たな時代の友情を結ぶ、「友好の橋」なのです。
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コメント一覧
Kosei Fujita
2016年3月18日 8:17 AM
昨年2月、パラオを訪問して、この橋も渡ってきました。素晴らしい景観です。ペリリュウ島にも行って、参拝してきました。世界自然遺産にも、接してきました。昔の日本国南洋庁の置かれた邦です。多くの足跡が残っています。これからも、大事にしていきたいですね!
とみお
2016年3月19日 1:08 PM
パラオの国旗は大東亜戦争でつちかった日本との友好の証として造られました。日本は太陽、パラオは月、戦争で住民を全員避難刺せた日本軍は、この地でアメリカを迎え打ち一人残らず全滅しました。この地には日本の英霊が今も眠っています。