2016-5-14 記事
打ち明ける

元嫁と結婚したのは26年前。
それはそれはラブラブな毎日で、
幸せ一杯・・・だった。

2年後に娘が生まれ、更に幸せな家庭構築。

2歳の誕生日前に、ちょっとした病気の
疑いで血液検査。
結果、病気は問題は無かったんだけど、
血液型に問題あり。
俺も元嫁もA型で娘はB型。

俺親は電車-飛行機-電車を乗り継ぐ距離なので、
近くに住む元嫁両親と共に元嫁を追求。
証拠があるのであっさりと不倫と托卵を認め、
取り敢えず離婚届に署名捺印を。
そんな話し合いをしていたある日、元嫁失踪。

結局間男はわからないままに、ジ・エンド。

元嫁両親は連絡は取れないまま元嫁とは絶縁宣言。
子供を引き取りたいとの申し出はあったが、
意地でも俺が育てる事に。
可愛かったし懐いていたからね。

この選択については、後々後悔をした事も
あるけれど、今の俺があるのはこの子のお陰。
そのときから元嫁はタヒんだ事になった。

でも会社勤めの俺、昼間は元嫁両親に依存。
歩いて行ける距離。
小学1年の時に、俺の転勤で元嫁両親の
手を離れ、父娘だけの生活に。

その頃になると、娘は心のよりどころ。
元嫁の裏切りで、女性不信になり再婚なんて
考えもしなかった。
もう血が繋がっていようといなかろうと
関係なく娘だけを愛したし、愛されていたと思う。

学校が終わると学童の世話になり、
俺の帰宅は7時から8時頃。
買い物も頼める物は買っておいてもらい、
二人で一緒に食事を作ったり。
高学年になると多少は一人でも作れるようになり、
俺が帰宅すると食卓に料理が並んでいたりして、
嬉しかったな。

中学は問題なく過ぎ、高校に進学。
2年生になった頃、友達と献血に行ってきたと
鼻高々に嬉しそうに。
そんな話を聞いて、心穏やかで無い俺。
で「お父さんは何型?」と俺の血液型を聞かれ、
暫く悩んで元嫁の連れ子だと言う事にして打ち明けた。
当然娘は驚き、暫く会話は無くなった。
このときの娘の顔は今でも忘れられない。
でも食事は作ってくれた。

結婚の時期と誕生日を確認すれば
バレバレなんだけどね。
でも、多感な高校生の娘には不倫の子なんて
言えるわけが無かった。
いずれ打ち明ける時が来るとは思ったが。

会話の無い生活を数日続け、娘から

「これまで育ててくれて有り難う。
これからもよろしくお願いします」と、

泣きながら笑顔で。俺も泣いて抱きしめてしまった。

それ以来、やたらとベタベタしてくるようになった。
血の繋がった母親は既にいない。
そばには血の繋がっていない男だけ。
今頼れるのはその男だけだと言う事を悟り、
捨てられないようにしているのか。
心が痛む。

やがて近くの専門学校に進学し、無事地元に就職。
地元とは転勤先で、このまま定年まで移動はなさそう。

就職して2年、彼氏が出来たと告げられる。
血は繋がっていないが、娘の彼に嫉妬する父。

結婚の言葉が娘の口から出るようになると、
相手の両親から会いたいと申し出があり5者面談。

その場で切り出されたのは、

「失礼ながら興信所で調べさせてもらった」と。

言葉を失う俺。

もう全てを話すしか無いと、娘の目を見ながら
全てを正直に話した…


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