2016-2-14
感動
高校の時、母親が病気で亡くなった。
父は弱い人だったのだと思う。
苦しむ母親から目をそらして、
他に恋人を作って、
母親が亡くなると家を出ていった。
「高校卒業までは面倒をみる。その後は自力で暮らしてくれ」
受験も追い込みに入る3年生の秋、
わたしはこうして独り暮らしを始めることになった。
わたしの通っていた高校は進学校で、
ほぼ100%の生徒が大学を目指していた。
わたしだけ、大学受験という目標は消えた。
授業料や家賃や光熱費は父が負担していた。
生活費は送ってもらえなかった。
どこを探しても家にはお金がなかった。
父の新しい相手は他人の奥さんだった。
きっと慰謝料のために何もかも持っていったのだろう。
わたしは母の死から立ち直れていなかった。
バイトと奨学金で自力で進学することすら
思いつかない世間知らずの甘えた娘だった。
「お金を送って」
と父に連絡すらしなかった。
父を憎みすぎて声を聞きたくなかったから。
目先のお金がなかった。
受験勉強する友人から離れてアルバイトを始めた。
お小遣いをかせぐバイトはあんなに楽しかったのに。
食べるものがなくて追い詰められてするバイトは
苦しいだけだった。
心配してくれる友人はいた。大人の人も。
父の噂がひろがり、
わたしは恥ずかしさと情けなさで、
周囲の人から距離をおいた。
年が明けて、
TVでセンター試験の話題が出始めたころ、心が折れた。
バイトに追われてはいたが、惰性で勉強は続けていた。
それをやめた。
年末年始のわずかなバイト料を持って、わたしは家出をした。
昔は仲良しの家族が住んでいた、
もう誰もいない賃貸マンションから逃げた。
3年生の登校日はもうほとんどない。
誰も心配もしないし探そうともしないはず。
遠い場所まで逃げた。冬の家出はつらい。
考え事をしたいだけなのに、寒くて外にはいられない。
怪しまれないようにネカフェを転々として、お金はどんどん減っていった。
最悪の決心をした。援助交際をしよう。処女を売ろう。体を売ろう。
街に立って親切そうな人にこちらから声をかけることにした。
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